○音楽遍歴(マンドリンに触れる)
・大学時代


 大学へ入り、音楽系のサークルに入部することは決めていたが、ほんとに様々な音楽系サークルがあり正直迷っていた。クラシックギターに興味はあったものの、専門のサークルがあるわけでもなく、まして当時マンドリンクラブという存在さえ知らなかった私は、高校時代にブラスバンドを通して興味を持ったジャズに触れたいと思い、軽音楽部(いわゆるビッグバンド)へ入部するつもりで、サークル勧誘のイベントに参加した。

 ところがである。大学のサークル勧誘があんなに強烈なものと知らず、“のほほ〜ん”としていると、いきなり大勢の先輩方に囲まれ、「××サークルだけど、決まったサークルある?なければ、一度顔出してみない?かわいい娘いっぱいいるよ(^^)」と、いたいけな青少年をたぶらかす言葉を連発し、私を拉致しようとする輩に、もみくちゃにされてしまった。
 そこからやっと逃げ出したかと思ったら、今度はきれいなお姉さまがたに囲まれ、甘い言葉で私をたぶらかそうと...(後で知った話だが、こういうときに出てくる女性のほとんどは、他の女子大からサクラで呼び寄せた人ばかりで、いざ部室の扉を開けると、むさくるしい先輩方ばかりだったそうな...^_^;)

 そうこうしていると、一人の先輩が私に近寄ってきた。「君は、音楽好き?楽器弾いてみない?」「うちのサークルはマンドリンクラブといって、マンドリン、ギター、ベース等の楽器でオーケストラのような構成で合奏やってるんだけど...」と来た。
 ブラスバンドで「合奏」の面白みを知っていたので、ちょっと心揺らいだが、気持ちは軽音楽部にあったので、「一応、ギターの経験は有るけど、合奏やるなら軽音楽部のほうが...」と断ろうとしていると、たまたまその先輩はギターパートの人で、「ギターなら、こんなこともできるよ(^^)」と一枚の写真を見せた。それは、ステージの上でギター一本で演奏している写真だった。「クラシックギターのソロをやりたいなら、僕が教えてあげる」と来たもんだ。

 今まで、それなりの年月をかけてギターを練習してきたが、すべて独学でやってきたため、ある意味壁にぶち当たっていた。ギター教室に通うことも考えたこともあるが、お金と時間の拘束がネックになり、なかなか決心できずにいた。そこへ、「ギターの指導をしてあげる」という言葉に誘われてしまい、「一応、見学だけなら...」といいながら、マンドリンクラブの扉を開くことになる。

 入学当初の新入部員、私を含め8名ぐらい居たと思う。みんな、女子大とのコンパが目的だったらしいが、私はギターの上達を夢見ていた。
 最初の数ヶ月は、毎月毎週のようにコンパに誘われ、それなりに楽しい時間も有ったが、コンパの数が減るにつれ新入部員の顔をだんだん見なくなった。
 そして、秋に定期演奏会となるわけだが、その頃には、新入部員は私一人という悲惨な状況を迎えた。
 まあ、そういう意味では最悪の環境だったが、私の当初の目的である、ギターの上達もそれなりにあり充実していた。多少将来(数年後、自分が先輩になるころ)に不安はあったが...

 大学2年になり、今度は自分が新入部員を勧誘することになる。もちろん、利用できるもの(サクラね^_^;)はすべて利用し、ひとまずサークル勧誘の場では、それなりの人数も確保できた。しかしながら、新入部員が定着しないという現象がこの頃から始まったように思う。クラブの運営方法にも何かしら問題があったのだと思うが、新入生の考え方、価値観が少しずつ変化している。クラブへの依存度、アルバイトとクラブの両立、先輩後輩の関係等である。
 私個人的には、クラブ活動を成立させるには、合奏が主体なサークルなわけだから練習を休むという行為を申し訳なく思っていたので練習をサボることはなかった。寝坊したりして、起きられなかったとき以外は...(^^ゞ
 しかし、練習の予定よりもアルバイトの予定を優先している新入部員もいて、それを怒るとやめていくのである。そういう、先輩と後輩の言い争いをしている姿を見て「あなた方は何のためにサークルに入ったの?」と思ったものである。もちろん、アルバイトする方にもそれなりの言い分があろうとは思うが、合奏を主体とするサークルである。人数が欠けては練習にならないことは、周知の事実である。それなのに...

 そういう環境の中、指揮者の選出という時期になる。うちの大学は、4年、3年、2年が定期演奏会でそれぞれひとつのステージを受け持つことになっている。新2年生は私一人しか居ないので当然指揮者として任命される。最初は、一人しかいない新2年から何の根拠もなく指揮者に任命する状況に反発もしたが、まあ、仕方が無い。ただ、この経験が後に大きな影響を持つことになる。

 大学3年になり、それなりに合奏の仕組みも理解でき、指揮者になったことでスコアの見方も分かるようになってくると、既存の譜面(いわゆるイタリア系のマンドリンオリジナル曲)ばかりを演奏することに違和感を覚える。
 前述したように、若い部員が定着しない理由のひとつとして、知らない曲ばかりを演奏させられること、自分が好きな曲の楽譜が無いことがある。ならば、自分で作ればいいじゃないか。
 音楽理論的にはどうしようもないアレンジだったと思うが、身近なポップス等を取り上げマンドリン合奏するようになった。これは、聴く側にも演奏する側にも好印象を与えたように思う。
 選曲の幅も広がるし、何しろ自分が好きな曲が演奏できるから、気合の入れ方が違う。
 聴きに来てくれるお客さんにも、「知っている曲が有って楽しく聴けた」という感想もいただけたからである。
 これも、高校時代に一応コード理論の本を読んでいたことやブラスバンドで培った経験が有ったことも影響していただろう。もちろん、そんな経験がなくとも編曲ができる人はいるだろうが、私の場合、何かしら後ろ盾が無いと動けないもんで...(^^ゞ

 大学4年になって、クラブ運営そのものは後輩たちに任せられるようになって、少し手が空くようになってくる。そして、大学内だけの演奏活動に多少物足りなさを感じるようになっていたころに、先に卒業した先輩からお誘いがかかる。社会人団体(広島市民マンドリンクラブ)への加入である。
 この広島市民マンドリンクラブ(以降HCMC)には、わが大学の卒業生が数多く加入しており、居心地もよかった。そして、学生時代にはお目にかかれなかった大先輩もおられた。年齢にして5歳以上年の離れた、当時の大学内では「伝説」と化した先輩方である。
 このHCMCに参加して気づいたこと。「世の中には凄い人がいるもんだ...」である。
 前述したように、大学では部員減少の中、競争力の低下、サークルそのものの技術力低下を感じながらも、それが当たり前の環境に馴染んでおり、そして4年の先輩が私一人という、私の独断でコトが進む環境にあって“井の中の蛙”であったことに気がつかされた。そういう先輩方といっしょに演奏していると、自分の未熟さを痛感し、更に練習をつむ気力が沸いてくるのである。

 そうして、大学での活動とHCMCと二つのマンドリンサークルで演奏活動することとなる。


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広島市民マンドリンクラブ

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